#丸亀製麺

 文学はリアルだ。リアルは文学でもある。いま僕は濡れそぼつワイシャツとスラックスを脱ぎもせず、リアルを吐き出す為にこの文章を書いている。

 僕はサラリーマンだ。毎日生きるために働いている。低空飛行のモチベーションは社会の中にある僕の居場所を狭くしていた。しかしながら不時着するような勇気もなくただ燃料が切れるまでゆっくりと遠くまで飛ぼうとしているのが僕の人生に他ならない。いやあなただって、そう、何の為に働いているのかと問われたときに明確な答えを持っているのだろうか。

 そんな灰色の毎日にギリギリの救いというか望み、一筋の白く太い希望のような光がある。ささやかながら僕が低空飛行を続ける理由の一つになるのかもしれない。人に言えば笑われてしまうような事なのだが、恐らく僕にとって大切なものだ。いまこうして文章にしたためながら思いを馳せていたら、深く納得したような気分になってきている。

 それは「讃岐釜揚げうどん 丸亀製麺」でうどんを食べることだ。

 あぁ、そういう反応になる気持ちは理解しているつもりだ。でももう少し話を聞いてもらえないか。

 僕は仕事を終えて帰路につくなか、この赤い日曜日をどうやって謳歌しようかと必死に思考を巡らせていた。そしてたどり着く場末のイオン。いや場末という言葉はイオンに失礼なのかもしれないが、都会でもなく田舎でもないこのイオンを指す言葉を僕は持ち合わせていない。特売になっていた賞味期限の近くなる僕の好みのカップラーメンをカゴにいれることで発生した少しのハッピーを隠しながらイオンを出た。

 場末の盛り場を出た僕は時計を見る。家に帰るか、開店直後の丸亀製麺に行くか。余談だが日曜日の丸亀製麺は場末の盛り場であるイオンよろしく人が集まってくる場所である。都会ではどうかわからないが、超がつく高齢化社会の根幹をなすであろう”田舎”という場所では”うどん”というファストフードは必要以上に人を呼び寄せる。

 オープン直後ならばあまり混んではいないだろうと、誰でもわかるような推理の余韻に浸りながら僕は丸亀製麺の駐車場に車を止める。そして数人の並ぶ列の一番後ろにすまし顔で並ぶ。

 7月6日から丸亀製麺では神戸牛を売りにした限定メニューを打ち出しており、実のところ丸亀にいけるタイミングを心待ちにしていた。耐え忍ぶ毎日を抜けてこのタイミングを待っていたのだ。輝くSunday。僕を待つ神戸牛。

 「神戸牛 旨辛 つけうどん 890円」と「神戸牛焼肉丼 590円」を注文した僕は丸亀製麺の中で大富豪のように見られているだろう。かけうどんを注文する貧民夫妻を見下しながら僕は優雅に一人で席につく。

 目の前のトレイの上に広がる神戸牛のパラダイス。この瞬間ぼくの灰色は確実にカラフルに色づいた。新緑に刻まれたネギ、麺つゆにうっすらと広がる旨辛要素のラー油は、夏の僕をクリスマスへのいざなう。

 つけ汁の椀を手に取り喜び勇んでうどんをダイブさせる。まるでプール開きの小学生のように大喜びでうどんを泳がせた。味を想像するだけで口の中に唾液があふれ出す。もしかしたらこの時、僕は🤤こんな感じだったのかもしれない。

 カラフルに色づいた幸せはそう長くは続かない。それが世の常であり中学生で誰もが習う「盛者必衰の理」である。僕もそうであった。「驕れる者も久しからず」という言葉は確実に僕の為に存在していた。

 手を滑らせた僕は盛大につけ汁を浴びた。

 胸元から膝まで満遍なく旨辛成分であるラー油の浮いたつけ汁を浴びた僕は丸亀製麺の中で晒しものであった。先ほどの夫婦は憐れむような眼差しを向けてくる。沙羅双樹の花の色はうどんと同じであることはご存じだろうか。いますぐ僕は入滅したかった。

 眼を下に向けると、まだひたひたと麺つゆが革靴に垂れていく様子がわかる。僕にだってそのくらいは判っている。このままでは行けないこともわかっていた。僕の頭の中の東国原氏が叫んでいる「どげんかせんといかん」いま僕はダブル神戸牛の富豪から、麺つゆぶっかけ男(映す価値無し)に格下げされたところだ。

 恥を忍んで店員さんに声をかける「すみません、つゆをこぼしてしまいました」と丸亀製麺の白い制服をきた天使はすぐに僕を助けてくれた。病院ではナースを白衣の天使と呼称することがあるそうだが、僕にとって今助けてくれている彼女はうどんの天使であった。

 開店直後に行ったので神戸牛丼のご飯は炊き立てで、片づけが終わって食べ始めた時にもまだ熱々であった。僕の冷え切った心を優しく包み込むうどんと白米、そして神戸牛のコラボレーション。

 そして「ご迷惑をおかけしました」と店員に声をかけ、綺麗に輝く茶碗と丼の乗ったトレイを台に乗せて店をでる。颯爽と、だ。颯爽と。めんつゆを香らせながらうどん屋を出るのだからさぞカッコいいことだろう。

 実はまだシャワーも浴びていなければ服も着替えていない。颯爽と香らせためんつゆの香りは今もこの身に纏っている。僕は文学は”リアル”だと考えている。”今”を言葉に綴るのが最高に読んでいる貴方に伝わるからだ。濡れて不快に肌に張り付くワイシャツも、毛羽立つキッチンペーパーで拭いた塵まみれスラックスも、全てが最高で最低な文学を表現する為に必要なものだった。

 いますぐ服を全部ぬいで甘辛のつゆでベタベタになった全身を流したい。ありがとう丸亀製麺。ありがとう読んでくれたみんな。

 僕はいま最高に生きている。

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