シージの常識を疑え

Rainbow six siegeを遊びはや5年がすぎさり。一定の”常識”というものが我が物顔で闊歩している。特に日本には日本流のシージ理論が染みつき、もはやその理論から外れるものを叩くレベルにまでなっている。それが”教科書”とか”常識”と言われるシージの基礎理論であり、一番強い、トップメタと言えるストラッツのことだろう。

常識とは

 必ずここは補強せねばならないとか、必ずここは開通しなくてはならない、だとか、みんな自分たちで作った己の常識という鎖でがんじがらめになってシージをしている。Whyなどと考える暇はなく、圧倒的な同調圧力が優先される、社会に近しい部分だ。誰しも怒られるのは怖い、”常識”のなかで行動すればまず怒られることはない、そしてそれを他人にも求めていく。他者がわからないタクティクスはそもそもやることすら許されないのだろうか。

勝つために存在するはずの常識

 ある人は言う、みんなが理解している作戦だから、いつもの”常識”通りの方が動きやすいし戦いやすいはずだと。そしてある人は言う、初心者でもこれを教えれば出来るし、固定の行動をしていればハズれはないのだと。

 それは確かに納得する部分のある、アンサーだ。だが、一方では”常識”は相手も知っているため攻略されやすくなる諸刃の剣でもあるのだ。相手にシージIQの高いプレイヤーがいれば一般的な”常識”的タクティクスはいとも簡単に攻略される。

 さらに初心者に固定の工事や行動を教え込むというのも考え物だろう。”常識”を覚えるばかりが優先されてしまい、”シージで一番面白い”勝つために自分で考えて何かを生み出したり、相手を陥れるという行動は一切身に付かないのだ。

常識なんてクソくらえだ

 誰かが考えたメタや、誰かが考えた作戦を模倣するのなんて誰でも出来る。二番煎じのプロになんてなりたくもない。メタは自分で考えて、自分の中にこそ形成するものだ。世界のメタを感じて、日本のメタを感じて、その上でソロランクなら自分一人で出来る最大限勝ちに近づく作戦を形成する。

 それがいかに常識はずれな開通だろうと、常識からまったくかけ離れたキャッスルやミラを貼ろうとも、僕は一切味方に遠慮するつもりはない。勝つためにやっているのだから。

 だが勝つためにやっているというのは味方に迷惑をかけていい免罪符になるわけではない。味方に迷惑がかかればそれだけ勝ちは遠ざかるので、ショットガンを所持しているなら最低限度の味方が求める工事はしてあげたほうがいい(味方のメンタルを思って)

結局のところ常識は必要なのか

 ”常識”はトッププロが考えた”合理的”な形である。ここまで常識はずれで良いと言っておきながら、結局合理的でいいんじゃないか。と思ったかもしれない。その通りなのだ。合理的で最善のケースになることが非常に多い。開通も場所と位置に意味があって、どうしてそうなっているか理解して使えば素晴らしい効果を発揮してくれるだろう。

 僕が言いたいのは、その開通や補強に対して常に”Why”を持ってほしいということだ。何故そうなっているかを理解しなくては正しくその守りを出来ているとは到底いえはしない。理解せずに守っているならば、君はただ撃ち合っているだけのテロハントに出てくるテロリストにすぎないのだ。

 しゃがみ開通は出た先に敵が待ち構えていれば不利になる開通だ。通って撃ち合うなら立ちで開通した方がいい。そして跨ぎ開通は一歩踏み込む動作を強要することが出来る。それぞれにそれぞれの利点があり、どんな状況でどれが最善なのか。それを考えて工事が出来る人間になれば、一歩シージが深く理解できていると言えるだろう。

おわりに

 僕は初心者には、開通してなどと頼むことは絶対しない人間だ。初心者は開通なんてしなくていい。逆のポイントを取られてどうしようもなくなる経験をしてから、開通のありがたみを感じたらいいのだ。そして補強していない壁をスレッジにぶち破られてから補強することを覚えればいいし、テルミットに補強をぶち破られてからミュートやバンディットを覚えればいいんだ。それでいいんだ。

 それでいいのか?常識を疑え。

コメント

タイトルとURLをコピーしました