マリオRTA文化の功労者、でいすい氏

 通称RTA、リアルタイムスピードラン。ゲームをクリアするタイムを競い合う競技、それがRTAなのだが、スーパーマリオワールド(1990)やスーパーマリオブラザーズ3(1988)がいまだにその土俵としてプレイされ続けていることは知っているだろうか。

 RTA文化はどちらかというとアングラで、多数の人に見られ始めたのはここ数年のRTA Japanの視聴者推移からしても”最近”と言える。ニコニコ動画などで下地ができて、RTA Japanが収束させた…という見方も出来るのだが、今回はマリオ関係のゲームを中心にRTA走者として現在も配信、動画投稿を続けている「でいすい」氏(以下文中では敬称略)に眼を向けたい。

凄さを伝える役目

 RTAという文化、見るといっても、そもそもそのゲームについての知識がかなり必要であり素人がすぐに見てすぐ楽しめるような競技の仕組みにはなっていない。パッと見すごいのはド派手なプレイや人間には出来ないことを成し遂げるTASさんであって、RTAは地道な努力の積み重ねと人間の限界に挑むひたむきな姿勢が見どころと言ってもいい。

 ”でいすい”はスーパーマリオワールドのRTAで元世界一のプレイヤーであり、現在も様々な挑戦をし続けている走者である。そして走者でありながら、そのルール説明から、テクニックの解説から、挑戦する姿を配信する、発信者であった。とくに日本人走者のプレイを解説しながら見る動画などでは、そのRTAの伝わりにくい”凄さ”を全力で視聴者に伝えてくれる。「この技は1フレームしか入力猶予がない」「ここは非常に難しい壁抜け」「ここは完全に運要素だ」など一般人に向けてその凄さ語るのだ。

見られない競技

 誰にも見られない競技は誰も参加したりしない。誰にも見られないゲームはいつか朽ち果てて消え去るのみである。僕たちがプレイしている対戦型のFPSゲームなどは相手がいなければ、そもそもゲームとしてなりたたなくなってしまうのだ。

 昨今確実にマリオRTAは人から”見られる競技”に昇華されていっている。その一見してわかりにくい”凄さ”がマリオRTAをプレイしない人たちにも着実に伝わっていっているからだ。そしてその動きは日本人RTA走者の増加につながり、競技全体の活性化にもなっているのだ。

見る⇨ハマる⇨やってみる

 サッカー少年もまずは、サッカーを見た。野球少年も、まずは何かで野球を見たのだ。漫画かもしれないし、Youtubeかもしれないし、テレビかもしれない。両親がそれをプレイしていたかもしれないし、学校で始めてやったかもしれない。

 人の目に触れて、興味を持ってもらう。その競技の深さや凄さを知ってもらって、その魅力を共有できたとき、初めてその競技の価値が高まっていくものなのだ。僕がいま自分だけのルールで自分だけの競技を作ったとして、その競技で世界一(競技人口ひとり)になったとしても何も価値はないのだ。

 価値は人々が作り上げる、人の集まりが価値とも言えよう。

自己犠牲なのかな

 アメリカの格ゲープレイヤーであるPunkは、日本人が格闘ゲーム業界で強くあり続けられる理由の一つに”余すことなくテクニックを共有して教え合える環境が日本にはあるからだ”みたいなことを話した。私はそれが競技の発展にもつながっているし、強さの秘訣でもある。と考えている。

 そう簡単なものではない、もしも秘密のテクニックでマリオRTAを最速クリアする方法が見つかったとしてもそれを共有してしまえば自分が世界一になれないかもしれない、他者に世界一を取られてしまうかもしれないのだ。

 でも、その秘密のテクの凄さを発信して誰もが世界一になれるかもしれない状況で話し合うことこそが、本当の最速への唯一の道なのかもしれない。

終わりに

 僕がRainbow six siegeの競技の発展を願っている理由の一つにこのゲームが終わりを告げたら、他にやるFPSゲームがないからというものがある。だから余すことなく発信してきたのだが、チームのコーチになるとそうもいかないもので、自分のチームの目先の勝ちに縋ってしまっている現状がある。ちょっとその状況を打破しようと”プレイ動画コーチング企画”などを開始したのだが、そもそも僕には発信力と継続性がないので難しいところ。でもそんな中でも一人でもシージが好きになり強くなって欲しいので、次もやっていきたい、そう、頭の中では考えている。

 自分の為にこうして文章にしたためてみたが、衰えを感じる。文字が怖い。

コメント

タイトルとURLをコピーしました