汚い眼鏡

汚い眼鏡

僕は眼鏡を外した。今日できることは全部したか、自分に問い直す。いつもは拭きもしない眼鏡を拭きながら、今日やったことを思い出して反芻する。凄く汚い眼鏡だ。何日も拭いていないのが見るだけでわかる。多くのゴミや指紋がついているし汚く曇っていている。この眼鏡をずっとかけていたのかと思うと辟易とするが、そうしたのは他でもない自分自身だ。

綺麗な眼鏡

僕は眼鏡をかけた。今日できることは全部出来てはいなかったし、完遂した物もなかった。眼鏡は綺麗になったが、今日の自分は唾棄したかった。凄く綺麗な眼鏡だ。いま拭いたのでゴミ一つついていないことがわかる。汚かった世界がクリアになって全てが終わったかのように澄んでいる。この眼鏡は綺麗になったが思考はどんよりとした曇り、いや大雨だ。

終わりに

眼鏡を拭くのも、眼鏡を拭かずに汚れた世界を見るのも自分だ。誰のせいでもなく全て私が悪いことだ。やるべきことは視界が曇っていても、快晴の澄んだ視界でも変わらない。ならば拭いて綺麗な眼鏡で見た方がいい。というのは少し結論を急いでいるのかもしれない。色眼鏡をはずして現状を見据えることが一番大切なことだ。いま見えている世界はクリアなグラス越しか、汚れたグラス越しかは関係ないのだ。自分の考えている固定概念を捨て去り、目的を一つに明確にして挑戦していくことが大切なのだ。ブレると死ぬ。今日は死んだ。じゃあな。

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